こういう服は、もういらない。
こんばんは、ヤマネコです。
先日、ワンピースの写真を載せた時、あえて触れなかったのですが、重なっていた内の一枚は、やや上質なリネンの生地で作られたものでした。
手に入れたのは、私が小学生の時です。
よく言えば物持ちが良い、悪く言えば捨てられない女。
まさかこの服を買った(買ってもらった)のって、子供の頃では…大人になってそれに気付いた時は、自分でも驚き、呆れました。あまりにも自然に、私のクローゼットに並んでいたので。
一説によると、リネン生地と言うのは年月と共に柔らかさを増し、元々コットンの二倍以上の寿命を持つと言われているそう。
それにしたって着すぎだろうとは思うのですが…まだ大好きで、なにより不思議と着心地がよいのです。
(ちなみに体型は、当時よりも少し痩せて、身長は伸びませんでした…)
古くても、好きな服。
そのワンピースは、もともと大人服でした。
さほど流行に左右されることはないだろうシンプルなAラインで、色柄は少し背伸びした子供が着ていても違和感はなく、組み合わせ方次第では今から十年後にも着られそうなデザイン。
親が「大人びた服を」と選んでくれたのだと考えれば、納得の一枚でした。
大人になり、自分の収入で服を買えるようになったものの、私が買う服はファストファッションなど、プチプラなものが多く、昔買ってもらって同じように着ている服よりも劣化が早いのです。
そうなると、新しい服(自分で買った服)から手放すことが多く、新旧の入れ換えではなく、まるで上澄みだけがどんどん入れ替わる状態。
さすがに違和感を覚えるようになりました。
妥協で「大好き」は手放せない。
先日、脳内会議が面倒になって物欲が減ったという話を書いたのですが…
私は何も「欲しがるのは罪だ!買い物は悪だ!」と思っているわけではなく、いつだってお気に入りを探していて、ウィンドウショッピングだってするし、ネットでもチェックするし、本当に欲しいものがあれば買うつもりです。
でも、もう古い服と天秤にかけて負けてしまうような、上澄みの服は欲しくない。
私の中で「捨てる」行為に罪悪感があるにも関わらず、新しいものを増やし、更に捨て続けることが苦痛だからです。
本当に好きなものには、滅多に出逢えない。
私が今から買う服を、何代にも渡って着ようとまでは思いません。
ワンシーズンでも、安くても、時には流行にのってもいいけれど、新しく買うのであればせめて自分が心から大好きと思える服がいい。
持っているお気に入りの服たちよりも、こっちの方が上だな!と思えるような。
買い物のたびにそう考えるとそこまで心を奪われる服はそう多くなく、本当の意味で「着るものが全く無い!」と思う直前までは、焦らずゆっくりお気に入りを探していこうと思っています。
トラコミュ。
本日の猫と、爪とぎ(この記事↓)のその後。
先月頭に使い始めた爪とぎ(一枚目)、ようやくひっくり返しました。
これからは、爪とぎも長持ちしてくれるものを選ぼうと思います^^