私が捨てるもの、他人目線の「いらない」評価。
こんにちは、ヤマネコです。
(昨日に引き続き、時々昼間の更新にしてみます)
ものを整理し始めてから、他人に言われてグサリと来る言葉のひとつが「なんでそんなモノ持ってるの?」でした。
なんでそんなモノ持ってるの?
それは普段、私が「多くのものを持ちすぎず、シンプルに生きたい」というのを公言し、自分なりに実践しているからだと思います。無料配布されているサンプル品を断ったり、意気揚々と出かけたセールで何も買わずに帰ってきたり。私にしてみれば「家に入れるものを選んでいる」のですが、人から見ると「何も持ちたくない」ように見えるのかもしれません。
だから、たとえば私が「除湿機を便利に使っている」という話をすると、使っていない人(多くは、使ったことのない人)にとっては「なんでそんなものを」という発想になってしまうようです。
「持つ」ことを恥じていた。
シンプルな暮らしに憧れ始め、そのうちミニマリストという言葉に出会い、素敵だなと思うようになりました。私の中で「憧れる」のと「目指す」のは少し違うのですが、「持たない暮らし」をされている方のブログを拝読するのは好きで、心づくこともたくさんありました。「絶対に必要だと思い込んでいたけれど、もしかしたら無くてもいいのかも」というインスピレーションなどは、実生活にも大いに役立っています。
ただ、すべての持ち物に関して「あの人が捨てたんだから、私も!」とはいきません。これは当たり前のこと。でも「持ち物は人それぞれ」と言葉にしながら、なぜか時々「持つ判断」を恥じていました。結局「比較」して悲しくなっていたのだと思います。
「持つ」ことは「過ち」ではない。
時に、「比較」が役立つこともあります。うちと比べてこんなにスッキリ…よし、私もがんばろう!という前向きな気持ちにつながる比較はとても有難いこと。
逆に落ち込むことも当然あって、そういう時に「人それぞれ」の呪文を唱えて、気持ちを紛らわせていました。
でも本来、自分に当てはめて考えたり、試してみて、「やっぱり手放せなかった」という結論は、敗北でも間違いでもありません。他人から「そんなの必要ない」と判断される理由も(ほとんどの場合は)ありません。それをたびたび、忘れてしまいます。
「なんでそんなモノ持ってるの?」への答え。
私がその質問に対し、傷ついた気持ちになるのは、「不便なものを後生大事にしている」「もっと持つべきものはあるでしょう」と思われるのが寂しいからかもしれません。
冷蔵庫は、あるよね。洗濯機も、あるよね。炊飯器は…ないの?便利だよ?除湿機…え?除湿機?そんなの必要?…という反応をとるのは「使ったことがない人」が多いです。
もちろん、使ってみて「必要ない」という判断をする人もいるとは思います。だから除湿機がすべての家に必要だと言いたいわけではなくて、使った経験がある人であれば「必要な人がいる(環境がある)こと」は理解してもらえるだろうなと。
なので答えは、うちには必要だから。
他人からの評価に動じずに、心から「人それぞれ」と思えるようになりたい。肌をじっとりさせる蒸し暑さを取り戻した初秋、今日も満水になった除湿機の水を捨てながら、そんな気持ちで過ごしています。
トラコミュ。
本日の猫。
今朝、床に落ちている白いものを見つけて、トイレットペーパーでもちぎったのかな?と思ったら…
先日の風船でした…。
深夜に何か落ちたような破壊音が聴こえ、リビングを巡回した時は気づかなかったのですが、これだったのか…と正体が分かってよかった(?)です。