年齢を言いたくない、私の心理。
こんばんは、ヤマネコです。
同世代、同業の友人間で「年齢」について話す機会がありました。
※昨日の帽子です。
ある人は、年齢を隠す意味がわからない、自意識過剰だと言う。これまで生きてきた人生を恥じているのかと。
ある人は、女性に年を訊くのは昔から失礼なのだと言う。年齢不詳である状況が自信につながることもあるのだと。
正直なところ、私もあまり公言したくありません。
でも女性だからというよりは、単純に年齢での評価やマウンティングをされるのが嫌なのだと思う。
私が初めて年齢にコンプレックスを抱いたのは、十代の半ば。当時の私はある種の英才教育のようなものを受けていました。
教育を受けていたというだけの紛れもない凡才で、なのに私は井の中の蛙状態で「自分はできる人間だ」と思っていたんです。
そんな中、講師の一人から言われたことがあります。
「君の年齢でも、世界で活躍している天才たちはたくさんいる」
つまり、私は「その天才たちとは違う」のだと。
それを聞いた私は恥ずかしいやら悔しいやらで、プライドはズタズタ。そのときは必死に我慢して、講師と別れから人目を忍んで泣きました。
大人になってからそれを思い出し、ガラスのハートの十代に対してなんてこと言う無神経な講師だったのだと呆れたりもしたのですが、相手にしてみれば、早いうちに引導を渡しておいたほうが私のためかもしれない…という思惑があったのかもしれません。だから今となっては先生のことを恨む気持ちはないのです。
ただ、年齢を明かすことへの抵抗感は、今も消えない。
「何歳ですか?」と訊かれれば、その瞬間に「何のために訊くの?」と考えてしまう。またあのときのように評価されるんじゃないか、と条件反射で心が怯える。
どうしても年齢が必要な場面?
年齢で何を判断される?
そんな風に考えては率直に答えることをためらって、質問に質問で(「なんで?」と)返すような回答をすることになる。
追い打ちをかけるように「隠す理由がわからない」と言われることもあるのですが、私にしてみれば相手が知りたがる理由がわからないことのほうが恐怖。
長い年月の中での疑心暗鬼も、少しずつ積もっています。
「その年齢で○○もできないのか」
「私が君の年のときはもっとできた」
「××を任せるにはまだ若すぎる」
こういったことをたくさん言われてきたし、年下だとわかるや否や態度が急変した人もいた。
自分の経験不足を反省するときもあるけれど、年齢ありきで判断されることが私には恐ろしい。よく言われる、体育会系の上下関係に慣れていないせいもあるのでしょうか。
ブログ上でもあえてはっきりとは書いていません。
本名であったり、住所であったり、職業であったり…あけすけに公開するのが私は怖いです。年齢を隠すことも、その延長線上。
秘密の少ない方に羨望の念を抱くこともありますが、それこそ本名などを公開しているブロガーさんもいらっしゃる中、自分の情報は、自分で管理できる範囲で公開するのがベストだと思っています。
私は十代のときに、自分の年齢を恥じたことがある。
日々成長するほど、未来は絶望的だったから。
一生を賭けようと思っていた道を失ってしまったから。
でもそんなことはなかったし、別の道で新しく自信を持てるものを見つけることもでき、もう恥じる気持ちはなくなりました。
それでも人に年を問われたときに、少しだけ身構えてしまう恐怖心が、今も私の中には残っています。
質問自体には、話のきっかけをつかもうとしてくれているのかな?と好意的に感じる場面もあるけれど、私が一番怯えているのは、「隠す自由を認めてもらえないこと」かもしれません。
本日の猫。
恥ずかしいからニオイかがないでー!
お願いだから爪立てないでー!!
昨日ブログに書くときにパソコンの前に持ち出していた帽子を、今日になってしばし猫に奪われました(かぶせたのは私ですが)。