欲しいもの、いらないもの。
こんばんは、ヤマネコです。
普段から「これ必要?あれ必要?」といつも考えているのですが、それでも物欲がゼロになるわけではありません。そんな私のほしいものイメージを考えてみました。
※そして本日も無関係の写真から…金時豆を煮ました。
「欲しいもの」がなくなりつつある。
最近、毎月のように参加している楽天セール(マラソン・買いまわりなど)には、毎回「10店舗完走」の記事を書き続けてきたのですが、今月はやめました。理由は欲しいものがなかったからです。
…いえ、参加した上、10店舗完走しました。でもその全てが食品・消耗品・猫用品で、「必要なもの」という感覚のものばかり。それはもちろん「欲しいもの」には違いありませんが…あくまで事務的な買い物であって、私の中でキラキラする物欲とはすこし違いました。
欲しいものが「好きなもの」から「必要なもの」へ。
これは当たり前の感覚かもしれません。
たとえば先日購入したティーマ(皿)は、もともと憧れていたお皿。でも今回購入したのはブランド性を求めてではなく、使いやすさや頑丈さなど、機能的な部分を評価してのことでした。
憧れているだけのお皿ならもっとたくさんありますが、それら全てを我が家にお迎えする予定は今のところ全くありません。仮に、予算がたくさんあっても同じです(仮に、です)。それはやっぱり「好き」と「必要」が今は合致しないから。
以前はそれでも「買ったら使う」と思っていたのですが…私の場合は、ほとんど使いこなせず眠らせてしまうのがパターン化していました。それはきっと「必要」のレベルではなかったためだと思います。そういうものを今「買おう」とは思えません。
食器で言えば、週に一回も出番のないものを買おうとは思わないのです。
私が求める「欲しいもの」。
「今、必要」なものであることは大前提。
更に求めることは、一言で表すと「シンプルなもの」が近いと思います。
- 無駄がないデザイン
- 必要なだけの機能性
- 視界の中でうるさくない存在感
そんな印象です。
あとは安くて長く使えれば最高。ただこれは反比例することがあるので、それはケースバイケース。単純にシンプルなものほどリメイクもしやすいので、結果的に長く使える…というものもあります。
これは我が家のトイレットペーパーホルダー(猫まわりやリビングなどで使用)。購入時と今とで好みの色が変わったのでスプレー塗料で塗りました。形状的に楽な作業でしたが、これが複雑な形やリメイクしにくいものだったら手放していたと思います。
ティーマのように憧れているものは食器に限らずたくさんありますが、せっかくものを減らしてスッキリしてきた空間に、あえて何かを増やして詰め込もうとは思わなくなってきました。
それでもデジカメとか圧力鍋とか欲しい…と思うことはありますが、なくてもなんとかなっている今は、とりあえず保留中。
※圧力鍋代用として教えて頂いたポット煮を試すつもりでしたが、金時豆ゆえ断念…。
今の私が本当に欲しいものは物品というよりも、すっきりした空間、そこで過ごせる健康な家族の身体…そういったものを維持できる無理のない心豊かな暮らしなのだと思っています。
トラコミュ。
本日の猫。
見上げているところ。
見下ろしているところ。
うちにもひそかにカースト制度がありそうです。