シンプリストとは、を考える。
こんばんは、ヤマネコです。
私は長いことシンプルライフを模索していたのですが、今年からシンプリストを自称するようになりました。よく比較される「ミニマリスト」とは違った表現の、「シンプリスト」。
新年度に入り、新しい気持ちで生活を始めようという意気込みと共に、私の思う「シンプリストとは?」を整理してみました。
シンプリストとは?
厳密な違いや定義は見つけられませんでしたが、以前も同じような検索をしていて、こちらの記事を拝読し、ああなるほど、と納得する機会がありました。
この考え方がすべてではないと思うのでうすが、持ち物の数で区別というひとつの境界線は、すごく分かり易かったです。
もともと私が抱いていたのはシンプルライフは幅広いくくりの意味を持っていて、ミニマルライフは「シンプルライフの一種」というイメージでした。
作家の中の小説家、医師の中の外科医師、音楽家の中のピアニスト、シンプリストの中の、ミニマリスト…そういう認識(最後のは、あくまで私個人の認識です)。
持ち物の話で言えば、シンプリストから、更に踏み込んで所持品を減らした人がミニマリスト。
…それを踏まえて…。
私は、ミニマリストになれません。
本当に必要なものだけで生活できたらいいなと、常々思っています。
自由に解き放たれたミニマルライフに憧れ、リスペクトもします。
ただ、私にとっての「必要なもの」は、生活に必需する最低限のもの、という直球的な意味ではなく、無駄かもしれないけれど、心を癒す雑多なものも含まれます。
なくても生活に支障は無いはずのものも、手放せない…というか、時には、手放さない、むしろ手に入れる選択をすることもある。
そう考えると、私には物への執着があり、縛りがあり、そのこだわりを捨てることがない以上、ミニマリストにはなれないだろうなと思うのでした。
私のシンプルライフ。
ミニマリストほどのストイックさはもてなくても、必要なもの(前項の意味で)、不要なものは選べるようになりたい、所持品の重圧に耐えかねた私がそう思うところからのスタートでした。
ただし、ひたすら持ち物を減らすことだけではなくて、目標としたのはシンプルに暮らすこと、シンプルに考えること、その先にある快適な暮らしです。
そういう暮らしを目指し始めると、一時は捨てるものが増えますが、片付くことで「増やしたくない」意識が生まれ、必要以上に買わない、捨てない、無駄にしない循環で、環境保護に続いたり、家族や猫が走り回るスペースが現れたり、無いものは工夫して代用するという発想力が鍛えられたり、 そういうものをひっくるめて、私にとってのシンプルライフ。
意識して続けていることも、習慣になれば無意識下でも動けるようになり、思考回路も、少しずつシンプル化。
…と、私の中ではまとまってきた「シンプルライフ・シンプリスト」の表現。
公式(?)のルールがあるわけではないので、考える人の数だけ「シンプリストとは」の定義はありそうですが、私の中のぼんやりとしたイメージは、今もその辺りを揺らめいています。
これからもっと、色々な方のシンプルライフ・ミニマルライフ構想も伺ったり、取り入れたりしながら、成長していきたいです。
それから…奇しくも、敬愛するシンプルライフブロガーマキさんが、はてなブログへお引越しとのニュース…!
ちょっと涙ぐむほど感激したことに自分でも驚きましたが、これからのご活躍も楽しみにしています♪
トラコミュ。
本日の猫は、イチゴと共に。
へたを取ったら、ハート型♪
そしてクンクンした後、やや白目です…^^;