ネコハウス

気付けば、生活の中心が猫でした。

空っぽな自分と向き合って。

こんばんは。

ここ数日、今年の目標を考えることが増えたのですが、その流れで自分を見直す機会も増えました。 今の私の現状と、出会った言葉と、これからのことを。


足りない経験値。

年末年始、御節を作りながらしみじみ私には「ふるさとの味」というものが無いことを実感しました。

味噌汁にも、煮物にも、カレーにも、家庭に伝わる味(味付け?)というものをよく聞くのですが、諸事情から私にはほとんどそれがありません。作ることが嫌いでない料理を未だに苦手だと思うのは、私の中に、正解の味がないからだと思います。

レシピ通りに作っても、味見をしても、常に疑心暗鬼^^;


いつも、正解を探してきた。

大人になったら、分からないことは減ると思っていたのに、分からないことを知ることが増えました。分からないことがあることを知ったけれど、正解は分からない…次から次へと、もうぐるぐるです。

人間、できないこと、知らないことはあって当たり前の筈なのに(客観的に、冷静に考えればそれが分かるのに)、未知のことを見つけるたび私はなんだか無性に怖くなるんです。

またひとつ、自分の欠陥箇所を見つけたような気持ちになって。


空っぽなら、たくさん入る。

そんな中、このお正月「空っぽは可能性」という言葉に出会いました。

記事は「お茶の本」からの引用と紹介を踏まえたもので、空っぽと表現されているのは、ティーカップの話です。でも私がこの言葉からじわじわ感じ取ったのは、出来ないこと、難しいこと、苦手なこと、やりたくないことが多いのは可能性と考えればいいのかもしれない、ということでした。

こういう表現は以前から色々あったと思うのですが、「空っぽは可能性」という言い回しが、魔法の呪文のように響きました。


私には伝えてもらった味がほとんどないけれど、私が伝えられる味は作れる。

料理教室に通えば新たな発見があるかもしれないし、自分でアレコレ試して味を作り上げても良い。

家族に言わせると、私が作る料理はいずれも「薄味」だそうなので…これからは健康に悪影響が出ない程度に「濃い味」も試していこうかなと。


2015年に、臨んで。

目標というほどではないけれど、今年も出来ることを少しずつ増やし、空っぽな自分の中身を、埋めていこうと思います。また出来ることが増えると、必要ないものも見えることがあって、この方向はシンプルライフの道にも通じているのかもしれません。

ただ思い悩むよりは、やっぱり行動あるのみですね。


ところで、作った御節は新年二日目にほぼ空っぽになりまして(よかった)、三日目(本日)はそれ以外の作りおき料理などでやり過ごしました。

三が日の間に作ったものといえば、汁物と焼き芋くらいで…蜜トロ~リの安納芋は、めちゃくちゃ美味しかったです!

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…が、二本足で立ってまで欲しがられては、分けるより仕方ない…。


参考・参加させて頂いているトラコミュです。

シンプルライフ
日常の小さなできごとを愛する生活